京都大学新聞インタビュー

04年度退職教官インタビュー 生命科学研究科 柳田充弘氏

(京都大学新聞2005年6月16日号(前編)・2005年7月16日号(後編)より引用)

(前編)

 柳田氏は京都大学を定年退職後、生命科学研究科の特任教授として現在も現場での研究を続けている。三月からはブログ(ウェブサイト上での日記形式によるメディア)によって研究や大学のあり方、社会一般の事象について発言を行い、多くの反響を呼んでいる。今回はインタビューの前編として、研究者を志したきっかけ、ブログでの発信の意義について伺った。(編集部)

――まず、定年を迎えた後の現在の状況についてお話しいただきたいのですが。

 三月三十一日に定年退職してそれ以後、現在進行中のわりあい大型の研究プロジェクト(特別推進研究COE)がもう一年ありますので、その間研究員として研究を推進すると、目下の現状はそういうところですね。研究プロジェクトに付随した研究員という扱いなんですよ。大学院生も指導教員の名義は変わったけれどもかなり残っています。学生さんの面倒も見ないといけないということですね。それで毎日のように研究室に来ています。 もう一つは、沖縄に将来できるであろう大学院の先行事業の主任研究員みたいなことをしている。月に一回程度で沖縄へ出掛けて、向こうの研究室の研究プロジェクトもやっています。

――生物学を志した理由はなんだったのでしょう。

 将来性があると思っていたんです。若いときはそういうことを言いたがるんだけど、僕は当時物理はもう終わったと思っていた。自分にとって向いているのは生物だという感じですね。生命よりも生物。どういう風に向いていたのかは分からないけど、その当時分子遺伝学というのが勃興して、これに自分の人生を賭けようと思ったわけですね。当時は物理というのがわりあい、理系の人間の規範だったわけですよ。僕自身は生物の枚挙的な知識をもっていたわけではないし、格別面白いと思っていたわけでもないので、物理的なセンスで生物をやる、自分が学んできた数理的なサイエンスを摩訶不思議な生物に当てはめる、そういう学問がやりたい、多分これは一生できるだろうと、そういうことですね。それは一つの正しい流れだったと思います。

 物理はその後、宇宙論とかの分野で大きな発展があったし、結局長い目で見ると物性とか、新素材とか材料系・半導体とか大きく発展したんでしょうけど、それはむしろ工学部系だし、もう一つは天文系。そういう分野への意識も洞察も全然なかったので行く気はなかった。当時は、思想・イデオロギーの対立軸があって、何でも対立的にとらえる風潮があった。そういうときに対立して物理系・生物系とあったときに生物系を選んだということでしょうか。そういう意味では時代の影響を受けている。今の物理系・生物系の選び方ではないよね。別に物理系が好きだったと言うわけではないんですけど、ちょうど物理の反対側の方の生物の、わけ分かんないものに一生を賭けてもいいんじゃないかと思いましたね。

――きっかけになった本はありますか。

 決定的な本はアンドレ・モロワが書いた『フレミング伝』。それを読んで感動した人は多くてね。もう一つは『微生物の狩人』という本。これもずいぶん多くの人が読んでいてね。高校二年ぐらいに読んだ本ですね。ちょうどどこの大学を受けるかというときで、生物系・医学系か考えていた頃です。進路的には何も分からないけどなんだか面白そうという印象でした。

――柳田先生は退職を控えた今年の三月からブログを始めて、大学のことや社会のことに発言していますが、始めた理由はなんですか。

 僕は今、同僚がいないんですよ。非常にけったいな状況なんだけど、研究員で研究代表者で、名前はいちおう特任教授と付いていますけど、大学からいうと僕はいち研究員。だから一切会議に出ることもない。だからそのぶん社会に対して発信しようということです。

 もう一つ、現役の教授のときには守秘義務とかいろんなことがあったけど、いまはいち研究員です。今までの肩の荷が下りて、明日にでもクビになるような運命なら、ブログみたいなものをやって世の中に対していろいろ書いたって別にいいんじゃないということです。

 もともと僕はアウトスポークンということではよく知られている人間なので、好きなことを言わせてもらおうということですね。きっかけはただ「おもろいな」と思ったから。普通は匿名でやるらしいんだけどね。だけど僕の場合は今更匿名ではやる意味が無いなと思った。匿名の面白みもあって、面白おかしく書けるんだけど、僕はその道は選ばなかった。書けないことは沢山ありますよ。書ける範囲でぎりぎりのところで言いてる。もちろん、人を思わぬところで傷つける恐れもあるけどそれは指摘していただいて、やめてといわれたらやめる。

 実名を入れるのは公知の事実の場合で、周辺の人間についてはイニシャルにしているんですよ。ちょっとフィクション的な面もあるかなと、事情を知っている人は誰でも分かるんだけど名前でなければ一応フィクションということになる。とりあえず、コミュニケーションする場をそういう媒体に選んだということかな。それなりに面白いですよ。

――反応はどうですか。

 コメントも結構ありますよ。「きわどいことを言きますな」という人もいるし、「面白いな」という人もいるし。変な形だけど、こんな研究者がいてこんなことを考えてこんな風な生活をしているんだということがわかるから一種の社会的な相互作用はしていると思う。週末よりウィークデーのほうがアクセス数は多いですよ。みんな大学で働いている人のほうが多いのかな。

 うちの院生にもやれやれって言っている。いま、現役の研究者で実名でブログをやっている入ってほとんどいない。ある程度以上の年齢になるとネットを使わない先生が多いんだろうな。

――大学のことから社会一般のことまで、思い切った発言をしていますね。

 僕が歯に衣着せぬ形で書いたら物議をかもすことは間違いなくて、、平素僕が何を言っているか知っている人は「えらい理性的やなあ」と言っていますよ(笑)。大人の意見を言っているって。理系の人間ということもあるし、辛らつな人間ですから、全部書いてしまうと問題があるのでごくごく一部だけ書いている。

 でもね、ごれはもう一切権威抜きで、一人の人間が言っているという風に受け取ってもらえたらありがたい。そういうつもりで書いていますから。むしろ、自分のくだらないキャラクターも一緒に出して、偉そうに言っているようにしないように心がけています。偉そうに見られると困るというのがポイントでね。政治・経済への意見はいち人間として、そういうことも考えているというレベルです。科学者としての創造性を生み出そうとするには、政治・経済とか芸能一般的なことも含めて、つながった興味を持っているということを示したほうが、読んでいる人にとっても首尾一貫していていいんじゃないかなということです。

 こんな右翼的なことを考えている人がどうしてこんな研究しているんだろうとか、人によってはそう思うでしょう。そういうのでもいいんですよ。最先端のことをやっている人が結構伝統的なことを考えていたりとか、歴史的なことになると頑なに伝統主義者になるとか、それも含めて一貫性のある人間が見えればいいんじゃないかと思う。だから、ブログの良い点は、その辺も気楽に書けることです。実名になれば責任を持つことになるから、おのずと常識の範囲で書くし、暴言とか、書きたくなるときもあるけど、それはやっばりやめるよね(笑)。

(後編)

――いまの日本の大学・研究室を概観して思われることはありますか。

 日本の大学のやり方はかたくな過ぎます。大学に変化したいという意欲がない。大学の先生自体に変えたいという気持ちがあまりないんじゃないですか。 僕は四十五年前ぐらいに大学に入ったんだけど、当時と比べて根本的なところで何も変わっていないと思います。教授がいて、助教授・講師・助手に、プラス大学院生がいて。その間の変化を見ると、非常に連続的です。どこかの時点で大きく変わったということが全くないというのが日本の国立大学じゃないでしょうか。

――昨年度に国立大学の法人化がありましたが、これは大きな変化ではないでしょうか。

 大学紛争というのが六〇年代末から七十年頃にありました。辛か不幸か僕はその間日本にいなかったけど、大学紛争の傷跡はたくさん残った。だけど、大学紛争で大学自体が変わったということはないと思う。後遺症みたいなものはたくさん残っているかもしれないけれど。

 国立大学法人化制度ですが、これは潜在的には変わりうる可能性を秘めています。ほとんどの大学人は、何一つ良くなっていないという風に言いますが、僕は制度的には改悪したとは思っていません。むしろ、良くなる可能性を秘めていると思う。制度なんて所詮人間が使うものですからね。現状はまだ二年目ですから、今の時点で判断するのは時期尚早です。事務系の秘書さんなどのレベルでは「仕事もきっくなったし月給も下がったし、いいことが何もない」と言うけど。

 いまの大学人は「法人化しても大学は変わらないんだ」ということを示すために一生懸命力んでいるように思います。運営交付金が毎年減額されることに対して大きな危機感を大学経営陣は感じてますね。大学が独自性を持てるという制度的なものは持っているんだけど、それを使おうという大学はまだ現れていないですね。むしろ危機感をあおって独自性の追求をしない理由にしている感じですね。法人化後大学のマネージメントをやっている人たちは、ことごとく守りの姿勢ですね。

――教育についてお伺いします。大学の教養教育をどうお考えですか。

 教養には意見があってね。教養は一生かけて学ぶものなんです。年に関係なく、必要になったら本を読んだり実地に体験して勉強する。ところが職業人になるためには、若いときに職業上のツール(道具)を身につける勉強が必要です。これは教養を積むための勉強とは別だと思うんですよ。 例えば英語なら「教養でやるんですか、ツールとして身につけるんですか」とはっきりさせたい。研究者になるためのツールなら生半可な気持ちでやってはいけません。研究者になったら英語は喋って書いて、読むのは当たり前、それらはツールとして身につける心構えで勉強しなくてはいけない。

 僕は高校までで教養の素地を学ぶことは済んでいると恩う。大学入学時に教養の原点になる勉強はすべて終わっているとみなすべきだと思うんです。

 「教養になる学科はご自由に選んでください。この大学でオファーする授業は何でも聞いてください。だけど、ツールとしての勉強はこれだけのものを勉強する必要があるので、その中から必須なものとそれほど必須でないもので必要な単位を取って、あとはご自由にお過ごしください、しかしツールの身につけ具合のほうはしっかり力を見ますよ」と、学生を勉強させたい大学は、そういう態度を取るべきだと思うんですよ。入学生を大人として遇すべきです。そうすれば彼等はいつのまにか大人になります。

 教養は人間として一番大切です。だからこそ教養の選択は本人の自由に任せればいい。大学側はツールの学び方の手ほどきど身につけ方を教える。もちろんツールでなく教養として英語をさらにやりたい学生も当然いるでしょう。理系で入学した学生がツールとしての英語から、教養としての英語に目覚めて、次ぎに英文学に深く関心を抱いて、いつのまにか英文学を専攻するようになる、こういうのが知の殿堂である本来の大学でしょう。

――研究の現場では、業績を挙げている人は少なくないと思いますが、いかがでしょう。

 京都大学の現場にはいい人は沢山いるんですよ。現実に今の京都大学の世界的評価も高いし、それは学内でも世間でも知られていないような人がすごく頑張っているんですよ。でも、頑張ってる人たちがお互いに知らない、それが京散大学なのかな。

 京都大学というのはドーナツ状の大学でね、僕はアメーバに喩えるんだけど、へりの部分、アメーバの擬足みたいなところで活発にやっているんですよ。そういう大学ですよ。真ん中のところは何をやってるのか良くわからない。

 頑張っているところはあるはずなんだけど、それを認めて発展させるような校風でもないし、大学としての能力もないし、昔も今もアメーバ運動してやってきた。ただ、昔は傑出したアメーバ運動をやっている人たちがいたので、日本国内でも世界でも認めていたのが、いまはアメーバ活動も弱まって、たぶん地盤沈下しています。

――その背景は何でしょう。

 まず、競争相手が増えたのでこれまで京都大学に当たっていた光が別なところに行った。いまは慶応なんて強いじゃないですが。東大の先生の意見ばかり聞いていたらまずいというので京大にきていたのが、いまでは慶応になっている。もちろん阪大なんていまや京大ではなく、東大に追いつこうという鼻息の荒さだよね。きょろきょろあたりを見回して、研究を落ち着いてやれない先生が京大では増えてませんか。

 それから、卒業生が大学に残る純粋化が進んでいます。どこの大学でも、優秀な卒業生がいたら、自分の大学を弱体化しないように囲い込むという作業がよく行われています。その度合いが日本ではますます激しくなっているような気がしてならないですね。結構深刻な問題だと思うけど、若い先生は意外にこれを悪くないと言うのです。

 日本の大学は、国内市場での競争しかないんです。学生白身が海外の大学と比べるということもない。最も閉ざされた業界ではないでしょうか。教師がみんな日本人なのも、日本語が出来るから。女性がいないのも、これまでが男性ばかりだったから。教授になるのは四十五歳くらいから始まって定年までなので、日本人・男性・四十五歳から六十三歳まで・さらに同一大学出身者という非常に狭い範囲の人間が大学を運営しているわけですね。そのことについて誰も疑問を持たない。なぜかというと競争がないからです。

 京都大学で現場の人が必死にやっているのは、自分の研究の競争だけを必死にやっているだけで、はっきり言えば大学がどうなるかなんてこと知ったこっちゃないのです。何言ったって大学なんか変わるはずないと直感的に理解してるのです。だから、大学が変わる気運というのは、内部から出てくることは絶対にないと思います。悲観的に聞こえるでしょうけど、これは事実です。わたくしも三十六歳で教授になるという幸運に恵まれましたが、自分を放っておいてくれと絶え間なく言いながらアメーバ活動を二十五年間やってましたし。

――どうすれば地盤沈下が止められると思いますか。

 僕は単純に、政府が命令する以外ないと思う。内部からは変わらない。政府が、外国人何%、女性教員何%、それに他大学卒業者が一定の割合に満たなかったら、そういう大学や学部・研究科は運営交付金をどんどん減らしてくるという、そういう宣言をしたら一遍に変わっちゃいますよ。そういう方法しかない。でも、これは京大に対する特別な処方箋じゃないですよ。総じて日本の大学に対してです。

――それは、大学としては非常に情けない形ですが。

 そりゃ情けないよ。だけど、自浄なんてことは絶対にない。四十五年間の経験から確信を持って言えますよ。

 いろんな意味でこれから京都大学がどうしようかということについて、「いままで通りでいい」という意見がほとんどなんですよ。いままで通りでは地盤沈下が避けられないので、何とかしなきゃいけないんだけど、その術が教養教育の改革なんてものであるはずがない、と思います。

 何をやったらいいかというと、少数者を大事にするということ。学力で人間を判断しないということかな。やる気で判断しなさいと。

――京都大学のこれからについてはどう見ていますか。

 京大が、ますます地盤沈下を続けるだろうと思います。

 非常に少数の人間が歴史を変えていく原動力を作るんだと僕は思うんですよ。京都大学の使命はそういう少数者を生み出すことにあると思います。自然科学では、まだ生んではいないけど、アインシュタインとかダーウィンに匹敵する人材を生めるような大学になったらいいね。だけど、少数者も生まないし、かといって多数者の中に個性ある人聞を育てなかったら、京都大学の存在意義がなくなるでしょう。

 少数者を大事にしなさい、というのが僕の意見です。二、三〇%じゃなくて、五%以下の少数者を。一大事にというのは、そういう学生が、勝手ができるようにしてあげるということ。少数者の中にはどうしようもないのも沢山いるでしょうが、凄いのもいる。これが歴史的事実です。彼等が卒業して日本中や世界中に行って将来の社会の人材になるのですよ。

 京都大学ですばらしい仕事を成し遂げた人たちの多くは、結構変わり者が多いんです。そういう少数者が京都大学の歴史を作ってきたと僕は思っている。

 いまの京都大学は全般的に見て、変わり者を大事にしない校風になってきたと思う。そもそもそういう人は偏差値試験に受からないんじゃないかな。入学試験自体がすでに無菌状態になっていて、缶詰か何かで煮沸した後の人たちが入ってきているんじゃないか。「こいつ、誰や」っていうような、おかしな風体・顔つきを見て何者だと思うような若者がいるでしょうか。みんな同じようなジーンズはいて、同じような顔つきして、みんな同じような雰囲気。

 学生の一部は、先生なんかより俺はずっと偉いんだと思うような校風を保たないとこの大学は駄目だと思うんですよ。いまのままでは、先生が学生よりますます偉くなろうというまったく無駄なことをやっている。教えるなんて偉そうなこと言うなと僕は言いたい。自分の生き様を見せればそれでいいじゃないですか。

 気概を持った若者が非常に辛い思いをして卒業するんじゃなくて、そういう人たちが元気に卒業できるといいね。大学では色んな人がいるということを許すということです。十人学生がいたら一人はすごく変わっている、そういう校風が残っているかどうかだけを僕はバロメーターにしています。いまの京都大学の状態は、校風の一番大事なものを失いつつあるんじゃないかな。

 人間の可能性というのは限界がないもので、自分が生きていく過程で「あいつはあんなもの凄いことをやってのけたんだな」と、一人でもそういう人を知っているとね、自分もやってみよう、自分でもできる、と思うようになるんですよ。そういうことがあれば、大学は良い方向、良い方向に向かい出すんですよ。いまの京大の危機は、この大学に面白いことが起きなくなってるんですよ。地盤沈下が激しいのに教員も学生も、誰も認めようとしないということでもあるけどね。

――地盤沈下は昔から始まっていたのでしょうか。

 世間では文系は長期低落じゃないの。文系でも僕が言っているのは文学部など、いわゆる文化を担っていくはずのところ。例えば河合隼雄さんは、京大教授をやめられてから伸び伸びとお仕事をされてますね。あの人の面白さは京都大学で受け入れられなかったのかな。かつての京都大学を考えたら、日本の諸分野の頂点に立つような人が、常に二、三人はいなきゃおかしいと思うんです。いま文系の先生で、そついう先生どれだけおられますか?

 教養教育の話では、議論があまりにも低次元で僕は参加する気力が起きないというのが正直なところです。くどいようですが、二十人に一人か、十人に一人くらいの少数派をとことん大事にするのが京大の行くべき道だと思うんですよ。河合先生も理学部の数学科の出身でしょう。

 僕はこういう風に問題提起したい。「後期試験で入学した人は学力が低いので、後期は廃止した」と説明した先生はとてつもない先生だと思う。どうしてそういうふうに人をラベル化して言えるのか。社会に出たら分からないし、大学での成績が悪いから入試をやめるなんていう、それは信じがたいような世間知らずな意見です。本当に良かったか悪かったかは二〇年か三〇年経たなきゃわかりません。こういう先生は京大生は阪大生よりはすこしはましで東大生よりすこし劣るなどと思ってるのでしょうか。

 入試で適切な人材を選抜できているかというのも、四十数年間の議論で何一つ変わっていない。こういう問題に首をつっこんでる先生がたは昔も今も同じような人たちですよ。教養教育制度という、僕に言わせたらやらなくでもいいような、新しい展望が開けないようなものをますます制度化しようとしている。そういう人たちが、ファカルティ・ディベロップメントとかシラバスだ何だといってね、何にも良くなっていないじゃないですか。

――いまおっしゃったような内容を踏まえて、いまの学生ははどう大学生活を過ごすべきでしょうか。

 アイデンティティという言葉があるじゃない、「Who am I?」だと思う。わたしが何ものであるのかということを問いただす、それがすべての人間活動の原動力だと思うんです。「自分が何ものであるのか・何ものでありたいのか・あろうとするのか」と、学生時代はその辺のところを考える時期だと思うんですね。ありきたりなようだけどそれに尽きると思うんですよ。

 若い人が一番苦手なのは、時の経過がわからないことです。若いがゆえに素晴らしい未来がたくさんあるんだけど、経験が少ないから五年後・十年後を考える能力がない。僕らは未来があんまりない代わりに経験があるので、どんな風になるかというのがある程度わかるわけです。そういう人間の若い人へのメッセージは、「こうありたい」とか「こうであるべきだ」という持続的な想いがすごい力を持っているんです。それを信じて生きると、思いも寄らない素晴らしいことが起きるということを、メッセージとしては言いたい。

 世の中には、そういう風に思いたくても思えない状況がある。就職活動とか試験とか、否も応もなくあまり高級じゃないことが押し寄せてくるわけです。色んな邪魔者が入りうるけど、そこは自分の信念を持って、自分の信じることをやるのが正しい。多くの人は妥協するというか、違う考え方を自分の体内に入れちゃう。この間まで偉そうなことを言っていた人が突然「いやー、僕はここへ就職するんだよ」と言うようなケースが、いい悪いは別にして非常に多いことから見ても、持続することが難しいって分かるでしょ。でも、実際には持続するとすごいことが起きるんですよ。

 僕のメッセージは常に少数者に向けているので、少数者の人にはわかってほしい。そう言っちゃうと身も蓋もないんだけど。僕が何か言うと、若者は怒るんですよ。「先生は結局ほんの数人の人間にしか顔が向いていない」って。そんなことはなくて、誰だって少数者の部分を持っているんです。マジョリティの考え方に迎合したって、しようがないしね。

――これから研究者を目指す人へ、一言お願いします。

 自分の未来を、現実がけっこう厳しいがゆえに、とても素晴らしいものと考えることをお勧めします。根本的には明るい未来を考えるのが、若さの本能だと思うんですよ。

 実際僕は明るいと思うんですよ。最近若い人と議論したときにも「今の世界の状況はどうか」と聞かれたんだけど、僕は「明るくなっていると思う」と言ったんです。韓国なんて素晴らしく国が良くなりました。中国だって、日本との関係はあるけれど、全体としてはいい方向だし、インドなんてとても良くなっています。中東の問題も続いているけど、ソ連は崩壊して東ヨーロッパに圧政はなくなったし、世界的に見たら僕らが学生時代を過ごしたときより状況は良くなっている。根本的には世界はいい方向に向かっていくんだという気持ちで生きていかないと、せっかくの人生で、やりたいことを見失う恐れがある。どういう風に明るくなるかというところにその人白身の個性を持つべきです。僕は研究者として、個人の能力を試したいという一点だけで人生やってきただけ。いまは非常に不透明な時代だけど、昔もそうだったと思うんですよ。

 一番のポイントは、未来に自分の求めている世界があると思うことです。

――研究をするうえで、オリジナリティを見出したり、保つためのヒントはありますか。

 オリジナルな仕事はたくさんあるんですよ。だけどみんな「弱い」んです。脆弱なオリジナル、吹けば飛ぶようなオリジナルの仕事です。それはオリジナル止まりなんです。「オリジナル+すごい」という感じがあってみんな眼が開く。でも、すごいんだったらみんながやるはず。そこは矛盾なんです。「誰もやったことがなくてすごい」仕事は、「オリジナルだけど弱い」という仕事が変化したものなんです。

 「オリジナルだけど弱い」という時期を平気で過ごさなきゃすごいものは出てこない。その道を進んでいけばいつか道が開けると本人が思っていても、周りから見たら脆弱なものです。それがある日突然評価されたときに、本人がどういう役割を演じたかというのが分かる。世間の見る眼なんてそんなものですよ。オリジナルな仕事をした人はみんなそれがわかっている。

 オリジナルな仕事は誰でもできるんですよ。だからオリジナルな仕事をしたからといってそれ自体ほめる必要はない。そこまでは、誰でもいけると思った方がいい。

 僕も定年にはなっているわけだけど、京大の研究室にいられるのがあと一年間限りになる可能性もあるし、どこかから研究費がくればここに留まるかもしれないし、わからない。来年自分がどこにいるか分からないというのは面白いですよ。沖縄に行っている可能性もあるので、何もないということはないんだけど。ただ一緒にやっている若い人たちは不安ですよね。「先生、来年どうなるんですか」と聞かれるのですが、僕としてはどうしようもない。「Trust me」というやつだね。

――ありがとうございました。

自主構造研ホームページ
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なお、このページの内容は、京都大学新聞2005年6月16日号(前編)・2005年7月16日号(後編)より引用したものです。